シンプルライフをめざす

シンプルで上質でミニマルな暮らしをめざしています。ジャズと絵を描くことが大好き。

つべこべ言わず運動のために時間を割かなければならぬ

 8か月ぶりに、スポーツジムで体内組織について計測してもらいました。

 その結果、驚愕の事実が。

 何と、体脂肪率が、歴代最高値を記録していました。悪い方向に。

 体脂肪量15.6kgの体脂肪率27.3%です。

 何ということだ。

 忙しくて、満足に夕食を取る時間もないというのに。それほど食べていなくても運動しなければ、人は太るらしい。

 

 ジムのトレーナーさんと相談して、秋にハーフマラソンに出場する事に決めました。

 そのためには、まずは、筋トレしつつ体脂肪を落としつつ、長い距離を相応のペースで走りきれるように鍛えないといけません。

 長距離の練習は、無理をすると足を痛めるので、トレーニングメニューも気を付けないといけません。無理だと感じたら、休憩したり別の訓練に変えてみる勇気も必要です。

 

 体脂肪を1kg落とすには、約7200キロカロリー必要と言われています。

 計算上、一日に4kmほどジョギングすると1カ月で1kg落ちる計算になります。

 

 しかし、仕事をしている身では、一日30分のジョギング時間を取るのはつらい。

 走るなら睡眠時間に充てたい!!

 ……となると、週末に20~30km走ってみる?という事になります。

 それなら朝夕に分ければ、できるかもしれない。

 もしくは、眠いのを我慢して30分早く起きてみるか?

 

 いずれにしろ、何かを達成したいと思うとそれなりの時間、費用、気力の投資が必要だということです。やるか、やらないか。

 人生って残酷だ。

 

 とりあえず、今日は早く寝て、明日試しに朝ランをやってみようかと考えています。

 

 

マレーネ・ディートリヒについて

 髪を短くしてしまったので、フェミニンな服より、マニュッシュな服の方が似合いやすくなった。

 そこで、クローゼットに入れるべき服を探す前に、お手本とするべき指標を探していた。

 すると、たまたま以前買った和楽4・5月号に「ファッションアイコン達のおしゃれ流儀」という連載があって、マレーネ・ディートリヒについて書かれていた。

 マレーネのファッションを見て「これだ!」と思った。時代に左右されないシックでエレガントなスタイル。これこそ自分が求めていたものであり、クローゼットに入れる服を10着にするという目標を達成するうえで、お手本にすべき考え方がたくさんあった。

 一流の品を身に着けるというのは、購入価格から考えると難しいけれど、値段にあった上質なものを探すことは私にもできると思う。

「人はその制服どおりの人間になる。」と、かのナポレオン・ボナパルトは言っている

人は、知らないうちに外見通りの振る舞いをしてしまうのだろう。つまらない服を着ているとつまらない人間になってしまう。美しい服を着ていれば、美しい人間になる。仕事ができそうな服を着ていれば、仕事ができるようになる。

 私は、仕事ができる人間になりたいし、美しい人間になりたいと思うので、服選びは日常生活における重要な仕事の一つだと思う。

 時々失敗しながらも、努力によって少しずつ自分の魅せ方を研究し、実践していかなければならない。

 でも、まず、というか、本当に一番大切な事は、「自分がどういう信念を持ってスタイルを形成していきたいか」ということを決めることだと思う。決める事が難しい場合は、私がやったように、様々な女優や俳優、モデルなど自分がおしゃれだと思うファッションアイコンたちの生き様を知ることから始めてみれば近道になるかもしれない。

 

intojapanwaraku.com

どんな事でもそれは意味があることなのだと信じてみる話。

 社会人になってから、ずっと応募しているフルマラソンの大会があるのだけれど、昨今のマラソンブームの影響で、エントリーしても全く抽選があたらない。

 今年こそは!と思っていたけれど、正月明けからGWまで仕事が忙しくて、あまり家でインターネットをゆっくり閲覧できる環境になかったので、気がついた時にはエントリーが終了していたという事件が起きた。

 何ということだ。落選記録を更新するならまだしも、エントリーすらできないなんて最悪だ。

 でも、自分が分身術でも使えない限り、あらゆる機会は同時に起きることはない。つまり、私がマラソン大会に出ていたら、走る事を通じて新しい人と知り合えているかもしれない。逆に、マラソン大会に出ていなかったことで、何か別の機会を得て、そこで新しい人やモノと出会う機会が生まれているかもしれない。

 未来は自分の努力で調整できることと、調整できないことがあるなのだと思う。

 「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。人の吉凶・禍福は転換し、予測できないものだという例えだ。何が自分の幸福になるのかは、予想がつかない。

 でも、幸福になることに近い道も存在する。例えば、思いやりを持つ、とか、礼儀正しくする、とか部屋を綺麗に保つ、などだ。

 シンプルライフを目指すようになってから、少しずつだけれど、不要なモノを減らす努力をしている。不要なモノを減らすと、余計なモノを買わなくてすむので節約になるだけではなく、掃除をしやすいという利点がある。

 掃除をするようになってから、少し運気が上がってきたように感じる。まだまだミニミニマリストの域には遠く及ばないけれど、毎日やれることから努力して(土日に一気にやろうとすると、自分は結局やらないということが分かった。)シンプルな生活に近づけていきたい。

戦国時代が熱いぞ!

 海北友松展の前に、今年の三月に京都文化博物館にて「戦国時代展」に行ったことを思い出した。東京→京都→米沢と巡回していて、今は米沢市で開催されている。

 サブタイトルが、「ーA Century of Dreamsー 」直訳すると夢の100年ということで、応仁の乱から織田信長による足利義昭の追放(安土・桃山時代始まり)までを指す。

 展覧会は、その時代に活躍した武将についてと、それにまつわる名品を集めたもので、戦国時代ファンのための夢のような展覧会だった。

 私の目的は、洛中洛外屏風を見てみたかったので、行くことにした。実は展覧会に行くまでは、戦国時代にそれほど熱烈に興味を持っているわけではなかったけれど、この展覧会を通して、武将たちの生き様を資料を通して感じることができてもっと知りたくなった。今は、戦国~江戸幕府の始まりまでに関する本をいろいろ読んでいる。できれば、幕末・明治辺りまで説明できるようになりたい。

 この展覧会を通して一番強烈に思った事は、戦国武将は武芸の達人であり、強いリーダーシップも持っており、また文化教養も深い人たちであるということだ。茶道や連歌に通じていたり、また独特の哲学を持っており、過去の人ではあるけれど、現代人がお手本にすべき要素をたくさん持った偉人たちだ。そんな人たちが一度に沢山現れた時代である。

 やっぱりこの展覧会でも図録を買ってしまっていた。展覧会では高校の日本史の教科書では知ることのできない武将たちのエピソードをたくさん教えてくれた。それぞれの武将がどんなことにこだわりをもっていたのか、知ることのできた展覧会だった。

 そんな武将たちの生き方をもっともっと知りたいと思っている。

 

sengoku-period.jp*1

*1:ここに脚注を書きます

海北友松展はすごかった

 京都国立博物館の120周年記念展覧会の一つとして開催された海北友松展に行ってきた。展覧会の開催がリリースされてから、ずっと楽しみにしていた展覧会だったが、閉館の間際に滑り込みで来館することができた。(公開は5月21日まで)

 友松が活躍したのは京都だが、生まれは滋賀(現在の長浜市)である。浅井家の家臣の家柄の子として生まれた画家だ。

 京都博物館は、三十三間堂の向かい側にある博物館だ。そこから少し歩いたところに建仁寺という禅寺がある。友松はそのお寺の襖絵をたくさん描いている。展覧会の看板やチラシに掲載されている龍が雲から姿を現したような絵である「雲龍図」が有名だ。

 今回の展覧会では、雲龍図はもちろんの事、国外からの作品も含めて友松の作品を通して彼の生涯を追っていけるような展覧会になっている。

 日本美術の展覧会ではあまり若い人を見かけることがなかったが、この展覧会では若い層や外国人の方もたくさん来館されていた。現在残っている友松の作品は、全て60歳以降のものだということで、「すごいな。自分も頑張らないといけないな。」というつぶやきを何回か聞いた。きっと、この展覧会に来た方のほとんどが同じ感想を抱いているに違いない。晩年まで画家として筆を走らせ続けた仕事の見事なこと。

 ミュージアムショップでは、図録が飛ぶように売れていたので、私も購入した。展覧会では音声ガイドをつけて見て回っていたが、豊臣秀吉、石田光成、細川幽斎など、戦国時代の重要人物たちと関わりの深い画家であり、途中で人間関係図を頭に描き切れなくなっていたので、図録は復習の意味で大変役になった。

 建仁寺は、京博から歩いて20分くらいのところにある。私はちょうどバスが来たので、乗って降りて10分ほどで到着した。友松ゆかりの地ということで、博物館が終わったあとに寄ってみた。複製であるが、友松の作品(襖絵)が見られるので、なかなか楽しかった。

 この展覧会をきっかけに海北勇松ももっと人気が出たらいいのにな、と思う。

 

yusho2017.jp

 

当日はトラりんにも会えました。かわいい……

トラりんはブログも持っている。

torarin.jp

www.kenninji.jp

 

ラジオ英会話を再開した

 仕事で使う機会がなくても!

 日常で使う機会がなくても!

 英語を勉強したい!

 

 ということで、まずはラジオ英会話を聴くことを再開した。

 テキストを買うとすぐに本棚がいっぱいになってしまうので、電子書籍にするつもりだ。これだと、ラジオアプリを起動させたら電子書籍を開けばいつでも学習できるので、スマホはあるけどテキストは部屋に忘れた、ということがなくなるので非常に便利だと思う。

 去年の前半は、「入門ビジネス英語」を聞いていたけれど、放送時間に家に帰ってこれないので、ストリーミングで先週の放送を聞く形になってしまう。でも、ラジオ英会話だとビジネスで使う英語の言い回しは少ないけれど、6時45分からの放送があるのが魅力的だ。うまく朝食を取る時間とあわせれば、食べながら英語のリスニングになる。

 英語を使う機会がないのに、英語を勉強するのは時間とお金の無駄じゃないかと思って、去年は途中で聞くのを止めてしまったけれど、筋トレと一緒で、語学は練習すれば上達するし、練習するのを止めればどんどん下手になっていく。

 でも、現状維持ではつまらない。目標が欲しい、ということで、次の秋に英検準一級を受けて、一年後には1級を取れるよう頑張ることとした。

 第二言語については、勉強をしてしまうと、英語に投資できる時間が減るので、勉強するべきかまだ迷っているけれど、台湾人の友人たちと中国語でコミュニケーションを取れるようになりたい気持ちがすごくある。7年前に初めて台湾に行った時に、英語も日本語も通じなかったけれど、すごく良くしてくれた友人がたくさんいる。その人たちともっと話してみたいし、できれば日本にも遊びに来てもらって、日本を案内したい気持ちがすごくある。

 けれども、中国語が難しすぎて、全く勉強する気力が起きなかった。文法も難しいし、発音がとても難しい。

 でも、今後はまちづくりをしていくうえで、グローバルな視点も必要になってくると感じている。トロイの木馬を発見した歴史学者シュリーマンみたいに、多言語の天才にはなれないかもしれないが、自分が良く知っている人たちが話す言語だけでも扱えるようになりたいと思っている。

 ひょっとすると、英語と中国の勉強を通して、語学学習のコツを身に着けることができれば、シュリーマンのように複数言語が操れるようになることが、出来るようになるのかもしれない??

 

www2.nhk.or.jp

 

ミュシャ展に行ってきた

 昨年、日本でのスラブ叙事詩国立新美術館で公開されると知ってからずっと楽しみにしていたミュシャ展。もう行くチャンスがないかもしれないと思っていたけれど、ようやく訪れることができた。

 公開されてすぐに図録がネットでも購入できることを知り、購入した。スラブの歴史について、それほど詳しいわけではなかったので、図録の解説を読みながら時代背景について勉強した。

 そして、実際に国立新美術館に訪れて、作品の壮大さに圧倒された。

 作品の前に立ちながら、そういえば、某映画作品の中では、登場人物が一枚の絵を見るためにわざわざ未来からやってきていた事を思い出した。この場に入れて良かったと心底思った。

 ミュシャは、すごく繊細なスケッチを描ける技術を持っている画家だったけれど、ある機会を得るまでは才能を発揮する機会に恵まれなかった。女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手掛けるまでは。

 ミュシャの生涯を見ていると、「幸運の女神は前髪しかない」ことを思い出した。

 これは、ローマ神話の運命の女神<フォルトゥーナ>はチャンスは後からでは掴めないことを表すために、後ろ髪がなく前髪しかないとされているということだ。ミュシャは、苦しくても絵を描き続けた。もし、彼が絵を描くことを途中であきらめていたら、私が国立新美術館に来ることもなかったかもしれない。

 過去と未来はつながっている。必ず。

 力を発揮する機会がなくても努力することの大切さをミュシャには改めて教えてもらった。

 ミュシャの生きた時代の事を、ベル・エポックと呼ぶ。フランス語で「良き時代」という意味だ。アメリカでは同じ頃、ジャズ・エイジと呼ばれる時代が起こった。華やかでモダンで美しい時代だ。私は、ミュシャを始めとしてこの時代の画家が好きだけれど、同じくらい音楽の分野ではジャズが大好きだ。きっと前世はこの時代に生きていたのかもしれない。

 この美しい時代の文化についてもっともっと勉強して、現代に生きる人々の生活に役立てていきたい。新しい文化は過去の文化を学ぶ中で生まれてくるというのが私の思いだ。

 

 

www.mucha2017.jp